第25回大会のご案内

日時 2026年3月21日(土) 午前10時30分~午後5時30分           場所 千葉大学西千葉キャンパス 文学部棟1階 103講義室 ※会場         ※対面開催です。オンラインの配信はありません。非会員の方も自由に参加できます。

総会 午前10時30分~正午

  • 横光利一文学会会員限定
  • 令和七年度活動報告・令和八年度活動方針ほか

開会の辞 午後1時~        千葉大学 小林 洋介

自由研究発表

  • 梁 馨蓉(神戸大学大学院) 「片岡鐡兵「幽霊船」論 ─視覚と身体の問題―」

 片岡鐡兵「幽霊船」は、一九二四年十一月の『文藝時代』に発表された短篇小説であり、「A 舵手が死ぬるまで」と「B 女が喪心するまで」の二部から成る。前半では、嵐に難破した帆船の舵手が灯台守の官舎の板壁に打ち上げられ、死の間際に救いを求める姿が描かれる。後半では、官舎内部ですでに心の離れた若夫婦が争い、肉体的な結びつきのみを残す関係のなかで、舵手の姿を見て妻が失神に至るまでが描かれる。

 従来の研究は、本作が露骨な性的描写をクライマックスとする点に注目し、それを片岡の新感覚派理論に示された「享楽の機関」としての「神経と感覚」と関連づけて論じてきた。こうした享楽性は、片岡がのちに左傾していく端緒として捉えられる一方で、現象の背後にある意味の把握が不十分であるという点から、新感覚派的手法が通俗性に道を開いたことを示すものとも見なされる。近年では土田俊和(二〇一七)が、本作の展開を「性」を源泉とする「感覚」「肉体」の運動によって捉え、肉体と結びつく感覚が主観の土台を根底から揺るがす点に片岡の新感覚派における独自性を見出している。

 本作が発表された当時、千葉亀雄は『文藝時代』同人を「新感覚派」と命名し、その命名に最初に反応したのが片岡「若き読者に訴ふ」であった。これをはじめとする評論活動によって、片岡は同派における論客の先鋒として位置づけられてきたが、その結果、実作が理論の例証として反映論的に把握される傾向が生じ、表現の固有性は十分に検討されてこなかったと言わざるを得ない。

 一方で同時代には、本作を「ポエムを発酵しヴイジヨンを拡大する」(角田恒)と積極的に評価する声も見られ、同人の横光利一はその作風を「構成派的」と評している。こうした評価を踏まえるならば、本作を単に時代や思潮の反映としてだけでなく、テクストの構造に即して捉え直す必要があるだろう。とくに具体的に注目したいのは、テクストに配置された視覚性の問題である。

 本発表では、舵手、夫、妻という三人の登場人物のあいだに生起する〈見る・見られる〉関係に着目し、外部から侵入する舵手の視覚的存在が、官舎内部に発生する肉体関係をいかに撹乱しているかについて分析する。これにより、「幽霊船」を官能的享楽や通俗性の問題に回収するのではなく、新感覚派文学における視覚と身体の問題系に連なる作品として再定位したい。

  • 山本 勇人(大阪公立大学大学院) 「幽冥を覗く「リアリスト」―小林秀雄の菊池寛評価と〈大衆〉表象―」

 横光利一「純粋小説論」(一九三五)はその冒頭、「もし日本の代表作家を誰か一人あげよと外人から迫られたら、自分は菊池寛をあげる」という小林秀雄の評語を紹介している。これは横光も同席した「文芸復興座談会」(一九三三)における小林の発言を若干誇張したものと見られるが、やがて発表された「菊池寛論」(一九三七)には、小林自身の手によって「天才」菊池への惜しみない讃辞が綴られた。そこへ至るには、「雑誌屋を兼業している通俗作家」(「菊地さんの思ひ出」一九四八)にすぎなかった菊池の存在が、「文学の社会化といふ仕事を、確実にやつた人」(座談会「菊池寛・人と文学を語る」一九四八)へと変じてゆく、評価の遷移があった。

 右の経緯を考える上で鍵となるのは、小林秀雄の批評における〈大衆〉の在り処である。『文學界』の運営・編輯やドストエフスキー研究、さらに「私小説論」(一九三五)の成立を経て、小林の文学理念には「読者」「民衆」「大衆」の問題が前景化した。そのとき彼は、菊池寛の文学に「一般大衆の心」を直感させる「偉大な常識家」(前掲「菊池寛論」)の筆を見出すこととなる。

 近年、浜崎洋介「小林秀雄と文藝春秋」(『文藝春秋』二〇二二・一〇)、若松伸哉「文芸復興期の菊池寛─文学の大衆化をめぐって」(『青山語文』二〇二四・三)が、小林と菊池の交渉、あるいは両者をとりまく文学場に光を当てた。ことに若松論文が指摘したように、文芸復興期に多くの作家が議論した〈大衆〉の趨勢は、戦時下の「国民」「民族」に関する言説へと引き継がれ、ナショナリズムの問題圏とも交差してゆく。こうしたなかで、小林の菊池評価とそれに連続する〈大衆〉表象は、いかなる論理のもとに構築されたのだろうか。

 本発表では、「菊池寛論」および「菊池寛」(一九五五)を中心とする小林秀雄の菊池寛評価を、同時期の文藝・社会批評との相関の上に読み解き、さらに菊池の創作や言論、周辺メディアとの照合を通じて、昭和一〇年代から敗戦後にかけて小林が表現した〈大衆〉像を検証する。加えて、先に挙げた二つの評を貫く要素、すなわち菊池寛と〈幽霊〉をめぐる挿話に注目することで、戦前/戦後を結ぶ小林の批評意識に新たな視角を投じたい。真なる「リアリスト」が「お化け」について語るとき(前掲「菊池寛」)、葬り去ることのできない歴史の相が象徴として回帰する。

特集 横光利一と菊池寛

 門井慶喜『文豪、社長になる』、鹿島茂『菊池寛アンド・カンパニー』、菊池寛をめぐる人々と百年企業となった文藝春秋社をめぐるこれらの著作が近年耳目を集めている。菊池寛が創設した芥川賞と直木賞も一七四回を数える。本年度上半期は両賞とも授賞作なしだったが、純文学と大衆小説という枠組みは現在の文学場にも影響を与え続けている。「昭和百年」という時代区分が注目を浴びつつある昨今だが、純文学と大衆文学、雑誌メディアの商業戦略、文壇ネットワークの形成、映画・演劇などのメディアミックス、そして文学における戦争協力の問題など、大正末から昭和戦前期までの文学場の形成に大きく関わった菊池寛の文業・事業は、今日においても重要な問題を多く孕んでいる。

 横光利一文学も、菊池寛の文学と彼が切り拓いた領域を追従し、時に発展させていこうとしたといえる。横光の文壇デビューの際に、菊池寛の庇護があったことは周知の通りだが、横光自身も『御身』の献辞に「菊池師に捧ぐ」と記し、「日輪」執筆の際には「真珠夫人」からヒントを得ていたことを菊池に告げている。「純粋小説論」の引き起こした純文学の通俗化論争の際にも、横光は「真珠夫人」を高く評価し、横光の新聞小説への進出は、菊池寛を追走したものとして認識されていた。また、昭和期から増え始める横光の全国各地での講演行脚も文藝春秋社のプロモーションの一環として行われた側面があった。そして、日中戦争勃発後の文学の戦争協力の問題では、文藝春秋社が大きな役割を担い、横光も『文藝春秋』に「旅愁」第二篇以降の大部分を連載し、横光・菊池両者は戦後、戦争責任を糾弾されることになる。その他においても、関東大震災時の逸話や代作問題、菊池の選挙出馬の際の横光の応援演説、菊池が戦後文藝春秋社の社長として横光を推そうとしていたことなど、両者の文学的・人間的繋がりを示すエピソードは事欠かない。

 本特集では、横光利一と菊池寛の関わりに注目することで、両者の文学ならびに同時代のメディア・大衆・戦争などを取り巻く文学場を再検討する。昭和文学の先達とも称された横光利一と、作家でありつつも文藝春秋社の社長として昭和文学の事業開拓を担ってきた菊池寛とを交錯させることで、「昭和百年」と称される現在においても有効かつアクチュアルな問題を析出していきたい。

 ゲストスピーカーとして関肇氏には小説と新聞メディアをめぐる編集者や挿絵画家と作家との社会的協働のあり方や、一九三〇年代以降の菊池寛と横光の果たした役割についてご講演いただく。本会からは鬼頭七美氏の報告によって、『真珠夫人』と『家族会議』との比較対照、両者の新聞小説としての読者戦略やプロットの類似点・相違点についての考察が深まることが期待される。ディスカッションにおいてはディスカッサントを皮切りに、文学場を共有する議論が期待される。

基調報告
  • 関 (関西大学) 「文学場としての新聞メディア―菊池寛と横光利一への一視覚―」

 菊池寛と横光利一の関わりについては、これまで『文藝春秋』『文藝時代』などの雑誌メディアを中心に考察されてきたが、新聞メディアを視座とした場合、両者の関係はどのように見えてくるだろうか。

 「現在のジヤアーナリズムに於いての新聞小説の存在(レエゾン・)意義(デエトル)は、まさしく絶対的のものである」(「連載小説論」一九三四年)と菊池寛が述べたことは、よく知られている。関東大震災後、新聞小説は日清日露戦間期に次ぐ黄金時代を迎える。ただ、それを牽引したのは、もっぱら時代ものの大衆小説であって、現代ものの通俗小説にかぎれば、長らく低迷状態がつづいていた。ところが、一九三〇年代半ばに急激な布置転換がもたらされ、通俗小説の新聞連載が隆盛をみる時代が到来することになる。

 横光利一には、初期の「クライマックス」(のち「舟」に改題、一九二四年)以来、少なからぬ新聞小説がある。なかでも『天使』『家族会議』(ともに一九三五年)、そして『旅愁』冒頭部(一九三七年)は、ちょうど新聞小説における現代ものの転換期に発表され、その経緯には菊池寛も深く関わっている。

 新聞小説は、新聞メディアというひとつの社会空間の中で展開する独自の文学であるといえる。その文学場においては、菊池寛も横光利一も、巨大な機構に組み込まれた構成員であり、編集者や挿絵画家との協働、さらには読者に支えられることによって新聞小説は成り立っている。そのことがどのように意味づけられるのかを探ってみたい。

 また、菊池寛と横光利一は、ともに一九三〇年代半ばから大阪毎日新聞・東京日日新聞に籍を置いていた。彼らの新聞小説のほか、ベルリン・オリンピック特派員としての横光利一、国立公園早廻り競争その他の多彩な企画に関与した菊池寛が果たした役割などについても検討できればと考えている。

報告
  • 鬼頭七美(白梅学園大学) 「『真珠夫人』から『家族会議』へ―新聞小説に描かれる女性同士の関係性をめぐって―」

 菊池寛を師事し、菊池寛の『真珠夫人』を高く評価していた横光利一は、菊池寛の『真珠夫人』から何を受け継ぎ、自身の作品に取り入れていったのだろうか。ここでは、同じ『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』に連載された菊池寛の『真珠夫人』と、横光利一の『家族会議』の内容を比較検討することによって、両者の新聞小説としての読者戦略やプロットの類似点、相違点を浮き彫りにしたい。

 菊池寛の『真珠夫人』は、周知のごとく、清廉潔白な唐沢男爵の娘瑠璃子が恋人との仲を引き裂かれる形で、戦争成金の荘田勝平との結婚を余儀なくされ、勝平の没後には妖婦として男性たちを誘惑しながら、そこに、性の非対称に対する反抗の意志を潜ませる。従来の研究史においては、こうした瑠璃子像の変化(しばしば不統一だと批難される)に、照明が充てられることが多かった。だが、ここで横光利一の『家族会議』を比較参照枠として導入しつつ新聞連載小説としての構造を捉えようとするならば、ヒロインとしての瑠璃子をめぐる物語以外の諸相への注目が必要となるだろう。

 横光利一の『家族会議』は、東京の重住高之と大阪の仁礼泰子の仲をめぐって、株式仲買店を両家とも営む関係で、父親同士の関係すなわち男性の論理とネットワークにおいては対立的である一方、母親同士の関係すなわち裏千家のお茶のネットワークを介したときには、高之と泰子は親密圏に置かれることになる。こうした女性同士のネットワークに比することができるのは、『真珠夫人』の作品後半において浮上する、瑠璃子の義理の娘である美奈子と瑠璃子のあいだに形成されるシスターフッドとも言える女性同士の連帯であろう。この連帯は、青木稔という男性をめぐる女性二人の対立可能性を排除することと裏表の形で成立するものである。

 両作品に描かれた女性同士のネットワークは、大正の中頃と昭和の初めという作品発表時の違いなどを考慮に入れつつ、どのように継承、発展、または後退を示しているのか。

 この両作品における「家」と「結婚」をめぐる物語は、女性同士の関係性に注目することで捉え返すことができるのではないか。それはまた、両作品に描かれた男性たちの「学歴」や「教養」をめぐる物語を対比的に捉えることにも繋がるだろう。

ディスカッション  関 肇・鬼頭七美・古矢篤史(ディスカッサント)小林洋介(司会)

閉会の辞          横光利一文学会代表 中沢 弥

※大会終了後、簡単な懇親会を予定しています。

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