第23回大会

日時 2024年3月30日(土) 午前10時~午後4時30分

場所 県立神奈川近代文学館ホール 会場

共催 公益財団法人神奈川文学振興会

  • 非会員の方も自由に参加できます。(対面・Zoomによるオンライン配信、どちらでも可。)ただし、こちらのフォームより、事前にお申し込みください。期限は3月29日(金)正午とさせていただきます。(お申し込みは終了させていただきました。)
  • 対面参加の方は、当日も受け付けます。

総会 午前10時~ 

  • 横光利一文学会会員限定
  • 令和五年度活動報告・令和六年度活動方針ほか

自由研究発表 午前11時間~

  • 胡桃沢 梨絵(お茶の水女子大学大学院)「生活の別名―横光利一とイプセン戯曲の関わり―」

胡桃沢 梨絵「生活の別名―横光利一とイプセン戯曲の関わり―」

 横光利一は、その作家活動を通じて少なくとも15篇の戯曲を書き残している。先行研究では、それらの戯曲と小説の関わりが模索されてきたが、翻訳を含む同時代の演劇文化との比較・検討は充分に行なわれておらず、その評価および位置づけは曖昧なままである。

 横光が戯曲を書き始めた大正13年は、いわゆる新劇に新しい表現形式を求める文学者たちが巻き起こした戯曲ブームとも重なっている。特に、藤木宏幸によれば、この時期は日本近代文学史上において「イプセン再検討時代」に重なっているという(「日本におけるイプセン書誌」『悲劇喜劇』1971.9)。横光もまた、「イプセンの戯曲」(『文章倶楽部』1925.1)において、「中学の5年」でイプセンの「彫刻師」という戯曲を読み、文学に大きな関心を抱く契機となったことを明かしている。

 イプセンの「彫刻師」と横光の関係については、田口律男「モダニズム研究の領域」(『横光利一研究』2012・3)が、「彫刻師」とは千葉掬香訳『建築師』(1892)のことであり、横光の文学はイプセンの戯曲が示唆する象徴主義的な姿勢を受け継いでいることを指摘している。ただ、横光戯曲とイプセンの詳細な影響関係については、未だ考察の余地が残されているように思われる。そこで、本発表では横光の言う「彫刻師」が「建築師」(1892)とともに、彫刻家を主人公とする「蘇生の日」(1899)である可能性を併せて検討し、それらの作劇構造を確認したうえで、改めて横光戯曲との関わりを探ってみたい。 横光戯曲の大きな特徴に、男と女の力学的な関係が描き出されていることが挙げられるという点は、しばしば先行研究でも指摘されてきた。前述したイプセンの戯曲においても、主人公の男とその妻、そして愛人の女性との緊張感に満ちた対話が多く登場する。発表内では、訳者である千葉掬香の特長的な文体にも留意しながら、特に台詞運びのあり方などに注目し、横光戯曲を再解釈する契機としてみたい。現段階の具体的な考察対象としては、「帆の見える部屋」、「恐ろしき花」、「幸福を計る機械」などを想定している。

  • 中井 祐希(立命館大学研究員) 「横光利一と一九三八年―改造社創立二〇周年記念事業を視座として―」

中井 祐希 「横光利一と一九三八年―改造社創立二〇周年記念事業を視座として―」

横光利一「旅愁」は、一九三七年四月一四日から『東京日日新聞』にて連載が開始。同年八月六日に「矢代の巻終」と記され、その連載を終える(『大阪毎日新聞』版は、四月一三日から七月八日まで)。その後、同作は掲載誌を『文芸春秋』に移し、一九三九年五月から再開される。古矢篤史は、『文芸春秋』での連載再開以降、「東洋」に関する描写が影を落としている点に注目し、「日中戦争下において知識人の間で論究された「世界史」という歴史意識に呼応したもの」(「「旅愁」――戦時下における「世界史」との交錯――」『横光利一の〈長篇小説〉に関する研究―一九三〇-四〇年代の〈日本〉をめぐるメディアとテクストの展開―』博士論文(早稲田大学)、二〇一五・四)だと考察している。この時期の「旅愁」を含めた横光文学にとって、古矢の指摘は重要な視座を与えてくれる。

 本発表では、この「旅愁」連載の空白期であった一九三八年にこだわってみたい。重視するのは、横光文学と縁の深かった改造社が創立二〇周年を迎えていた点である。改造社はこの年、創立二〇周年記念の「三大事業」として、『新萬葉集』と『俳句三代集』の出版、そして雑誌『大陸』を刊行しているのだが、横光はこの「三大事業」のいずれに対しても文章や小説を寄稿している。横光と改造社の関係については、既に十重田裕一『横光利一と近代メディア――震災から占領まで』(岩波書店、二〇二一・九)での緒論をはじめ、多くの研究の蓄積がある。しかし、創立二〇周年を迎え「戦線、銃後の全国民大衆と共に、世界的日本拡充のために、東亜百年の大計樹立のために邁進せん」(「編輯だより」『改造』一九三八・三)として、大規模かつ時局に呼応したメディア戦略を展開していった改造社と横光文学との関係については、まだ検討の余地が残されているのではないだろうか。

 そこで本発表では、一九三八年四月号の『改造(改造二十周年記念号)』にて「特輯創作欄」のトップを飾った「シルクハット」、そして大衆読者を想定し刊行された『大陸』創刊号(一九三八・六)での「王宮」、この二作を取り上げる。両作品で登場する「ギリシャ」という用語などに注目し、「世界史」的言説が前景化しつつあった一九三八年と横光文学との結びつきや差異を見定めていきたい。

特集 《資料》にどう向き合うか 午後1時~午後4時30分

 この一、二年、国会図書館のデジタルコレクションが飛躍的に進歩している。デジタル化が格段に進み、全文検索などの機能が充実し、これまで目にしたことのない資料に出会う機会も多くなった。横光利一文学会は『横光利一研究』別冊として、これまで紹介されてきた全集未収録文章と、また新たに発見された未収録文章とを集めて二〇二三年に編集刊行した。が、こうした状況を踏まえれば、これ以降も新たな全集未収録資料が出てくるものと予想される。だが一方で、デジタル化が進んだとしても、研究者による発見、解説を必要とする資料もいまだ多く存在するだろう。資料にどのように出会い、それを横光利一の研究の文脈でどのように意味づけていくのか、研究者の手腕が問われるところである。

 斎藤理生氏にはゲストスピーカーとして、太宰治、織田作之助などの資料発掘の現場から示唆的なご講演をいただけることと期待している。今回の別冊にも横光に関する新資料をご提供いただいたことは記憶に新しい。

 また、これまで継続的に未収録資料を報告し、研究に新たな光を当ててきている古矢篤史氏のご報告をいただいて問題意識を共有したい。

 さらにいわゆる活字資料とは異なる、自筆資料についても進展が著しい。横光利一については、北出楯夫氏が継続的に未発表書簡を紹介してきたことは周知のことだが、それに加えて、二〇一九年の「新世紀の横光利一展」(於・日本近代文学館)で大きく紹介された谷川徹三宛書簡一六通の衝撃は記憶に新しいところだろう。こうした自筆資料は、単に無色透明の「資料」ではなく、環境の中で生き延びてきた「生き物」であるといってもいい。さまざまな人の営みの中で残されてきた、そのことに敬意を払いつつ、しかしやはり横光利一研究にとっては大事な「資料」として扱われるものでもある。今回「谷川徹三を勉強する会」が所蔵する谷川徹三書簡にかかわり、その意義を紹介した石田仁志氏には、自筆資料が持つこうした二つの側面からお話をいただきたい。

 こうした報告と問題提起を受けながら、様々な資料群を通して、横光利一の知的背景や人脈、メディア環境に光が当たることにも期待したい。多くの読者が気づいているように、横光のテクストには、典拠がよく分かっていない固有名や術語/概念が頻出する。横光自身が接触したであろう資料群にも目配りしつつ、今後の横光利一研究および日本近代文学研究の可能性を探っていきたい。

【基調講演】

  • 斎藤 理生(大阪大学) 「落ち穂を拾う―全集未収録資料の発掘と共有―」

斎藤 理生 「落ち穂を拾う―全集未収録資料の発掘と共有―」

 『別冊「定本横光利一全集」未収録文章集成』に顕著なように、隈なく調べ尽くされたような個人全集が刊行された後も、新たな資料が見つかることは少なくない。とりわけ近年は、各種データベースが整備されたことによって、以前には視野に入りにくかった媒体にも目が届くようになったり、ごく短時間でアクセスできるようになったりしてきている。そのため、資料調査の範囲や方法にも変化が訪れているのではないだろうか。

 今回は、織田作之助、太宰治、三島由紀夫、そして横光利一など、いくつかの資料の発掘に、わずかながらも携わってきた者として、(1)なぜ全集未収録資料の発掘に関心を持つようになったのか。(2)それぞれの資料はどのような経緯や方法で発掘に至ったのか。(3)発掘したものをいかに位置づけたのか(あるいは位置づけられていないのか)。(4)発掘した資料はどのような形で共有するべきか。といった点について、具体例を用いてお話しすることを通じて、問題提起できればと考えている。

【報告】

  • 古矢 篤史(摂南大学) 「未収録テクストの迷宮」
  • 石田 仁志(東洋大学) 「谷川徹三宛横光利一書簡の意義と意味」

古矢 篤史 「未収録テクストの迷宮」

 『定本横光利一全集』未収録のテクストに遭遇すると、しばしば迷宮に立たされた気分になる。発見の歓びは忽ち薄れ、資料の価値や意味づけをめぐって逡巡するうちに、紹介のために稿を起こした手も止まってしまう。発見から数年放置する場合もある。当惑の根幹は、おそらく、従来形成されてきた横光利一の像(イメージ)との齟齬にある。本文を全集ではなく初出とすることに拘ったことで、近年のようにデジタル資料が発展する以前から、様々な一次資料に目を通してきた。当初は総合雑誌や文芸雑誌などの文壇の基底となっているメディアを通読していたが、新聞や婦人雑誌などの大衆的メディアにも調査を拡げていくうちに、ふと手を取るようになった美術雑誌、教育雑誌、グラフ誌、週刊誌、機関誌など多様な出版物にも横光の名が載っていることに気がついた。私たちの知らない横光利一がそこにいる。なぜ、どのような経緯でこれらのテクストが載っているのか。対談相手や取材している記者はどのような人物か。いったいどこまで調査すればよいのか。散逸して通読できない巻号は放置するのか。短い文章であっても、沸き起こる疑問と、調査困難の壁に、いつしか幽閉されてしまう。迷宮の出口はどこにあるのか。未収録テクストを扱ってきた立場から、その方法や課題、新たな横光利一像について話題を提供できればと思う。

石田 仁志 「谷川徹三宛横光利一書簡の意義と意味」

谷川徹三宛の横光の書簡については、二〇一九年三月に開催した「新世紀の横光利一」展において、発見された一六通すべてを一挙に展示させてもらい、多くの来場者に見ていただいた。また、その翻刻と解説の一部については「谷川徹三と横光利一 ―新資料の書簡」(『日本近代文学館年誌』14、二〇一九・三)に書いている。今回の特集「《資料》にどう向き合うか」では、この未発表書簡の公開に至るまでの経緯(「谷川徹三を勉強する会」の活動)や資料保存の今後の課題、そしてこの書簡を通して見えてくる横光と谷川徹三との関係について、すでに論じたことを再確認する形にはなるが、報告したい。また、『横光利一研究』第22号(二〇二四・三)には伊藤整および翁久允宛ての未発表書簡の翻刻と解説を掲載するので、それらも踏まえて大会での議論に貢献できれば幸いである。

ディスカッション

閉会の辞

  • 田口 律男(横光利一文学会代表)
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