横光利一文学会
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   第7回大会
2008年 3月 29日 (土)  13:30-17:30
東洋大学 白山校舎6211教室

特集:メディアのなかの横光利一

◇研究発表
  • 川畑和成  シナリオ『狂った一頁』成立過程
  •    新感覚派映画連盟の第一回作品である、映画「狂つた一頁」は、大正十五年五月に京都の下賀茂において撮影された。原作は川端康成、監督は衣笠貞之助、脚本にはこの両名の他に犬塚稔と沢田晩紅も加わっていた。
     撮影完了後、雑誌『映画時代』創刊号(大正十五年七月一日発行)に川端康成名義で「狂つた一頁」の「シナリオ」が掲載された。この末尾には「このシナリオは、衣笠、犬塚沢田等の諸氏に負ふところ多し、付記して、謝意を表す」と記されている。つまり、「シナリオ」は川端単独で創作されたのではなく、衣笠、犬塚、沢田と協力して作成されたのである。では、「シナリオ」に川端の独自性は、どの程度反映されているのだろうか。
     中谷正尚「衣笠資料整理余話―日本映画史を語る監督の一次資料―」(『放送研究と調査』第四十五巻第九号・一九九五年)によると、衣笠の遺品の中に映画撮影時に使用された「撮影台本」と「撮影メモ」、それと内務省の検閲用に作成された「検閲台本」が残されていることが判明した。これらは現在、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されている。
     今回、これらの資料を調査し「シナリオ」と比較した。検証の結果、「シナリオ」の成立過程が明らかになり、また映画製作の過程もある程度判明した。その一端を報告する。

  • 別所誠  横光利一と映像メディア―『狂つた一頁』の周辺―
  •    「新感覚派映画聯盟」第一回作品である映画『狂つた一頁』をとりあげ、横光利一と映像メディアのかかわりを考察する。当時小島キミの看病をよぎなくされていた横光は、映画製作に直接かかわることはできなかったが、要所でかなり重要な役割を演じていたことが知られている。そもそもこの映画は、『日輪』を映画化した衣笠貞之助監督が、じきじきに横光のところに持ちこんだ企画であり、「試写を見て、これはむしろ無字幕映画でゆけ」とすすめたのも横光であったと衣笠は回想している(『わが映画の青春』、中公新書、一九七七)。
     今回、「撮影台本」「撮影メモ」「検閲台本」を調査した結果、以下のようなことが明らかになった。(1)「検閲台本」は、映画上映のさいに弁士が観客にストーリーを説明するための弁士用台本であるらしいこと。(2)その弁士用台本には、通俗的な物語内容を強調するベクトルが読みとれること。(3)「撮影台本」のなかには、タイトル(字幕)に相当するものが書き込まれており、撮影現場では、字幕でいくか無字幕でいくかで揺れていたらしいこと。(4)同時代評には、映画の物語性をめぐって対立する構図があり、横光の「無字幕」の選択には重要な意味を見いだせること、などである。
     今回の発表では、以上に述べた諸点を中心に、一九二〇年代における横光文学と映像メディアとの関係を細かく割って吟味してみたい。

  • 諸岡知徳  「家族会議」の位相―1930年代新聞小説の底流
  •    一九三五年七月、横光利一は『大阪毎日新聞』・『東京日日新聞』に「家族会議」を執筆し始める。横光はそれまでにも新聞紙上に、「寝園」(一九三〇)、「雅歌」(一九三一)、「天使」(一九三五)などを発表している。加えて、「花花」(一九三二)の分析である「書翰」(一九三四)や、「読者との共同作業」を標榜した「盛装」(一九三五)など、読者との関係を前面化するような小説も発表している。こうした一連の横光の執筆活動は雑誌や新聞といったマスメディアとの緊張関係のうえに行われていた、ということがいえるだろう。
     読者を意識しつつ執筆された、これらの小説と同じく、「家族会議」も通俗小説としての側面が意識されているといえる。だが、そうした通俗性は、映画化でより一層強調されることになる。それは「家族会議」という小説が、横光の思惑をも超え、一九三〇年代の通俗小説に通底するモチーフをもっていたためだ、ともいえよう。
     本発表では、「家族会議」のなかに伏在する通俗小説のモチーフを、同時代の通俗小説、特に『大阪毎日新聞』・『東京日日新聞』に掲載された一連の新聞小説から逆照射し、「家族会議」の位相を明らかにすることを試みたい。

◇コロキアム: 横光利一の直筆原稿の陰影―「上海」を中心に
  • ゲストスピーカー  十重田裕一(早稲田大学)  横光利一の直筆原稿の陰翳――「上海」を中心に

     このたび刊行された、紅野敏郎・日高昭二編『「改造」直筆原稿の研究 付録・直筆原稿画像データベース』(雄松堂出版、二〇〇七年)には、横光利一の草稿が一四点、五四六枚収録されている。総合雑誌「改造」掲載の作品を中心に、改造社刊行の他の雑誌、単行本などに掲載された、延べ七〇〇〇枚をこえる自筆原稿のなかにあって、横光の草稿は特に重要なものの一つに数えられる。この資料を用いた研究の可能を探ることが、今回の発表の目的となる。
     限られた時間のなかで、焦点をあてるのは、「改造」に「或る長篇」(「ある長篇」)として連載され、後に『上海』(改造社、一九三二年)にまとめられる小説である。具体的には、「掃溜の疑問」(一九二九年六月)、「持病と弾丸」(一九二九年九月)、「婦人――海港章――」(一九三一年一月)、「春婦――海港章」(一九三一年一一月)の四作である。遺された草稿からは、どのようなことが、どこまで明らかとなるのであろうか。また、何を明らかにしえないのだろうか。「改造」というメディアとの関係から、参加者の皆さんとともに考えてみたいと思う。

  • ディスカッサント  島村 輝(女子美術大学)
  • ディスカッサント  山本亮介(信州大学)
  • コーディネーター  掛野剛史(埼玉学園大学)
【企画趣旨】
 グーテンベルグの発明に端を発し、「出版資本主義(プリントキャピタリズム)」がもたらした想像の共同体=国民国家のなかで、近代小説は生まれました。だがそれは、「グラモフォン・フィルム・タイプライター」の発明という20世紀のメディア論的転回の中で、そのアウラを失い役割を変えていきました。根源的メディアとしての文字から活字文化へ、さらに音声・映像に拮抗する大量複製時代の出版文化へと移行することで、マスメディアのなかの文学の役割が問い直される時代となったと言えましょう。一九二〇年代から一九三〇年代は日本近代文学史においてもそのような世界的同時性のなかにあったと考えられます。
 以上のような前提から、本特集では横光利一の生きた時代におけるメディアとテクストの相関関係を問いたいと考えています。
 第一に円本ブームや『文芸時代』を中心とした出版文化に媒介された、戦略としての横光利一を問うこと。第二に「声音の奇形物」たるラジオや新感覚派映画連盟として関わった映画といった、メディアにおける媒介領域に囲繞された横光利一を問うこと。第三に形式主義文学論争に現れたように物質としての文字にこだわったフォルマリストとしての横光利一を、「純粋小説論」に至る同時代の文脈から問うこと。さまざまなレベルから「メディア」の「なか」の「横光利一」を再考する視点が浮かび上がってくるでしょう。
 もちろんこれらは一例にすぎません。メディアの季節のなかで横光利一を問い直すために、さらに新鮮な切り口を探っていきたいと思います。