◇講演
- 田中実 小説の読み方―『蝿』に触れて―
演題は無論「私の小説の読み方」に過ぎません。今回の共通テーマ「教室のなかの横光利一」においても、「読み方」が価値や意味を引き出す要であると私は考えています。一九八〇年代近代文学研究では、それまでの「作品論」から「テクスト論」へ移行し、文学研究は文化研究にシフトしましたが、私にはこれを潜り抜けて文学研究の復活・再生を目指さなければならない、という思いが強くありました。だからでしょう、私は〈読みの原理〉に興味を持ち、主体と客体の二項では文学作品は読めないと考えるようになりました。当日は私がどんな「読み方」をしているか、専門家の方々の前ですが、私の苦手な横光の作品に触れて、お話しようと思っています。
◇発表
- 山崎義光 教室のなかの「蠅」と文学史のなかの「蠅」
学習者の理解枠組みの変容を促すことを教育目的とするという観点から、教材としての「蠅」の適否を論じた難波博孝「「終わり」を消費させる「蝿」」(『〈新しい作品論〉へ、〈新しい教材〉へ2』右文書院 1999.2)は、今回の特集テーマにとって示唆に富みまた刺激的な先行論文である。学習者のおかれた〈現在〉の社会的コンテクストと「蠅」の物語構造から、メタ認知的な変容を導く道具(教材)としての限界について検討を加えている。それに対して、大正期以降の文学史にみられる〈生きもの〉小説の系譜のなかに「蠅」を置き、塩田勉「横光利一「蝿」覚書―「構図の象徴性」とは何か」(「比較文学年誌」1990.3)などの先行論文も参照しながら、文学史的、歴史社会的な文脈のなかでの「蠅」の位置づけを対照してみるとどうだろうか。教室のなかで「蠅」がどのように読まれ、また何を目的として教材に用いられているのかは、実際のところ一概には言えないだろうが、教育の場で求められる位置づけと、文学研究の場で位置づけられる「蠅」とを対照することで、このテクストがどのように読まれてきたか、読まれうるかという観点から問題提起をしてみたい。
- 石田仁志 権力としての読書行為―「蠅」を中心に―
「蠅」の出来事は単純である。事故としては、馬車が崖から転落して人間は全員が死んだというもの。元来人間が知りうることは、それ以上ではない。ところが、小説では、偶然馬車にたかっていた蠅がいて、その蠅だけが、死なずに青空の中を飛び去っていたという出来事をそこに付加している。死んでいく人間たちと生き残る蠅とは、本来没交渉であり、無関係である。しかし読者はその両方の存在を知らされる。人間と蠅、死と生、落下と飛翔。読者は、そうした対比構図の〈余白〉に、何らかの〈意味〉をみる。運命の不条理や、人間存在への否定、虚無的な生命観、あるいは生の解放感。そこにあるのは読書行為が作品に対して行使する権力性であり、それがこの作品を〈教室〉という場に引き出して来たのではないだろうか。それはこの特集の場にも働いている力であろう。それを我々はどのように相対化できるのか、梶井基次郎「冬の蠅」や横光「日輪」などを参照しながら考えてみたい。
- 佐藤 泉 外的読解からの転回―「蠅」の教材化の意味―
小林國雄氏の調査によれば、横光利一作品の教材化の流れは、一九五〇年代の「旅愁」から六〇年代以降の「蠅」へときわめて鮮やかな変化を示している。パリの日本人を描いた「旅愁」は、おそらく鴎外・漱石以来の日本近代の問題系を継承した作品という枠組みで受容されたことだろう。その限りで「旅愁」が配置される文脈は歴史と社会の軸において文学作品を位置付ける文学観であったはずである。またそれゆえにこの作品は五〇年代の教材であり、かつ五〇年代までの【までの、傍点】教材である。文学観の変容とともに、それに精確に対応して、六〇年代以降の「横光」は「蠅」や「日輪」などフォルムの実験を敢行した作家として再登場することになる。その意味で、「横光」は戦後の文学観の変容を典型的に表象した作家の一人だった。しかし、教材としての「横光」が私たちの目を惹くのは、「旅愁」から「蠅」への変身ばかりではない。どの時代より以上に、元号年でいうところの「平成」、グローバルな枠組でいうなら冷戦構造の終わるころ、「蠅」が突出して採用されている。この、いわばポスト冷戦の「蠅」は、それ以前の六〇年代以降の「蠅」と同じ「蠅」なのだろうか。教材としての意味が変わっていたのだとすれば、それは何を意味するのだろうか。こうした文脈を設定し、あの重力から解放された目を、読み直してみたいと思う。
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